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プロ野球選手を諦め、未経験からITエンジニアを目指すまで
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こんにちは、 @Manabu です。
私は小学4年生から大学4年生まで野球を続け、プロ野球選手になることを目標にしていました。
中学生のときには全国大会、高校生のときには甲子園へ出場し、大学にもスポーツ推薦で進学しました。
しかし、大学ではけがや新型コロナウイルスの影響もあり、最後まで思うような結果を残せませんでした。プロや社会人野球へ進む道も見つからず、長く続けてきた野球を諦めることになります。
野球以外の仕事をほとんど考えてこなかった私が、その後に選んだのがITエンジニアでした。
今回は、野球を始めた小学生の頃から、競技としての野球を終え、未経験でIT業界を目指すまでを振り返ります。
この記事は、以下のような方に読んでいただければと思います。
こんな方におすすめ
- 長く続けてきたスポーツを辞めた後の進路に悩んでいる
- 目標を諦め、新しい道へ進もうとしている
- 未経験からIT業界へ進んだ人の体験を知りたい
野球を始めた理由
私が野球を始めたのは、小学4年生の頃です。
きっかけは、野球が好きだったからではありません。最初はダイエットのために始めたので、野球自体をやりたいとは思っていませんでした。
それでも、当時から体は大きい方でした。試合で結果が出たり、4番を任せてもらったりと、できることが増えるにつれて野球が好きになっていきました。
ただ、所属していたチームは大会で優勝するような強豪ではありませんでした。
大会があるたびに、私は次のようなことを考えていました。
Manabu優勝する人たちは、どのような気持ちで、どのような景色を見ているのだろう。
今思えば、この頃から野球そのものだけではなく、勝負に勝つことへ興味を持っていたのだと思います。
中学生で初めて優勝を経験
中学校でも野球部に入り、たくさん練習しました。
メンバーにも恵まれ、地方大会で優勝し、全国大会へ出場することができました。
小学生の頃から気になっていた「優勝する人に見えているもの」を、初めて自分でも経験できた瞬間でした。
最後に勝てる人やチームは、それまでに積み重ねてきたものがあり、苦しい場面でも勝つための行動を続けています。
実際に優勝したことで、そのことへの理解が少し深まりました。
この経験をきっかけに、私は野球以上に、勝負事そのものへのめり込むようになりました。
全国大会は初戦で敗退しました。それでも、相手はその後ベスト4まで勝ち進み、そのチームを相手に自分たちなりの健闘ができたことも大きな経験になりました。
強豪校でベンチの外からスタート
高校は、スポーツ推薦で野球の強い学校へ進学しました。
入学時は、1年生から大会に出場することを目標にしていました。
しかし、県外からも多くの選手が集まる学校です。同学年の選手が夏や秋の大会へ出場していく中で、私はベンチに入ることもできませんでした。
周りが先に試合へ出ていく状況でも、必ずエースになると思いながら練習を続けました。
2年生の春に初めてベンチへ入り、大会ではピンチの場面で登板する機会をもらいました。その場面で自分の役割を果たせたことは、自信につながりました。
キャプテンとエースとして甲子園へ出場
自分たちの学年ではキャプテンを務め、エースとして夏の大会に臨みました。
そして、チームとして目標にしていた甲子園へ出場することができました。
高校3年生の1年間は、ただ練習するだけではありませんでした。
チームが一つの目標を達成するために何が必要なのかを真剣に考え、自分たちで行動し、結果として実現できた1年間でした。
小学生の頃に抱いていた「勝つ人には何が見えているのだろう」という疑問に対して、自分なりの答えを少しずつ得られたように思います。
大学で公式戦に出た直後にけがに苦しむ
大学も、志望していた学校へスポーツ推薦で進学できました。
しかし、大学1年生と2年生の頃は、なかなか公式戦へ出場できませんでした。
3年生の春になり、ようやく公式戦に出場できました。
ここからだと思っていた矢先、肘を疲労骨折し、同時に肩も負傷しました。
秋はベンチの外から応援することしかできませんでした。
高校でも最初から順調だったわけではありません。そのため、大学でもここから取り返したいという気持ちはありました。
しかし、4年生になると新型コロナウイルスの影響で大会自体がなくなるなど、出場機会を得られないまま現役生活が終わりました。
プロと社会人野球への道を諦めた
最後まで、プロや社会人野球へ進む道を探していました。
それでも、野球を続けながらプロを目指せるような企業から声がかかることはなく、競技としての野球をここで諦めることになりました。
小学4年生から大学4年生まで、生活の中心には野球がありました。
簡単に気持ちを切り替えられたわけではありませんが、野球だけで仕事をしていくことは難しいと考え始め、自分が別の仕事をするなら何を選ぶのか、初めて真剣に向き合いました。
自分が好きなことを改めて考えた
進路を考える中で、自分が何を好きなのかを書き出しました。
- 数学が好き
- 考えることが好き
- 自分が成長していくことが好き
- 積み重ねた技術を武器にして勝負したい
野球では、練習によって身につけた技術が自分の武器になりました。
仕事でも同じように、自分が身につけた技術で戦える仕事をしたいと考えました。
そこで最初に思いついたのが、ITエンジニアです。
当時はIT業界についてほとんど知識がありませんでした。それでも、技術を身につけるほど自分のできることが増え、将来的には独立という選択肢も持てるのではないかと考えました。
今振り返ると、分からないことも多い中での想像でしたが、自分が仕事に求めていたものとは合っていました。
大学4年生の10月から就職活動を始めた
就職活動を始めたのは、大学4年生の10月です。
周囲と比べると、かなり遅い時期からのスタートでした。
合同説明会で複数の企業から話を聞く中で、自分の能力を最も伸ばせそうだと思える企業に出会いました。
私はその企業だけに応募し、面接を経て採用してもらうことができました。
所属していた野球部では、競技を続けない同級生や先輩の多くが、大手企業の営業職や商社などへ進んでいました。
その中で、これまで接点のなかったシステムエンジニアになると伝えたときは、周囲から驚かれました。
入社前から勉強を始めた
ITエンジニアは、知識がほとんどない状態からのスタートです。
4月入社の予定でしたが、会社へお願いし、入社前の2か月間をアルバイトという形で勉強させてもらいました。
慣れない内容ばかりで、知恵熱を出しながら勉強したことを覚えています。
野球では、練習を繰り返すことで少しずつできることを増やしてきました。ITについても、最初から理解できなくても、何度も触れば前に進めるだろうと考えていました。
エンジニア6年目になっても学ぶことは多い
2021年に入社し、現在はシステムエンジニアとして6年目です。
今でも勉強は続いています。
知識が足りないと感じることや、案件を進めるための引き出しが少ないことに落ち込むこともあります。
それでも、エンジニアを辞めようとは考えていません。
野球をしていた頃と同じように、今の自分に足りないものを考え、試し、失敗しながら成長していきたいと思っています。
相手は人であることもあれば、これまで触れたことのないシステムであることもあります。
簡単に勝てる仕事ではありませんが、これからの人生を懸けて取り組める、新しい勝負を見つけられたと感じています。
野球を続けた時間は無駄ではなかった
プロ野球選手になるという目標は実現できませんでした。
しかし、長く野球を続けた中で得たものは、今の仕事にもつながっています。
- 結果が出なくても練習を続けること
- 周囲より遅れていても、自分に必要なことを積み重ねること
- チームで一つの目標を目指すこと
- 自分の役割を考えて行動すること
- 勝つために何が足りないかを振り返ること
競技は変わりましたが、身につけた技術を武器にして戦いたいという気持ちは変わっていません。
野球を諦めたことは、一つの目標が終わった出来事でした。
同時に、自分が次に何を目指すのかを考え、ITエンジニアという新しい道へ進むきっかけにもなりました。
まとめ
小学4年生から始めた野球では、全国大会や甲子園を経験することができました。
一方で、大学ではけがや大会の中止もあり、プロや社会人野球へ進む目標を実現できないまま競技生活を終えました。
その後、自分が好きなことや仕事に求めるものを考え、未経験からITエンジニアを目指しました。
長く続けてきたことを諦めるのは簡単ではありません。
それでも、それまでに積み重ねた経験が全てなくなるわけではなく、形を変えて次の道でも活かせることがあります。
次の記事では、IT知識がほとんどなかった私が、入社前の勉強から個人開発、副業へ進むまでに取り組んだことを紹介します。
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